一昨日の朝、子どもが「足が痛くて歩けない」というので学校を休みました(サボりました)。
良く聞くと、算数が苦手なのと、いじめっ子がいるとのこと。
策を与えて、昨日は元気に登校して、どうだった?と聞くと、うん、やっつけてきたo(^_-)O
キラッキラの目で話してくれました。
<ガンジス川に問いかけられ、答えを待った>
「インドには行ける人と行けない人がいて、それは運命で決まっている」——三島由紀夫の言葉を知って、僕は自分が“呼ばれる人”なのかをずっと気にしていた。
それ以来、「インド」「バラナシ」「ガンジス川」と、呪文のように繰り返していたら、ついにお許しが出たのか、インド行きのチケットが手に入った。
深夜、空港から外に出ると、真っ暗な街に無数の目がこちらを見て光っていた。怖かった。
土埃たつデコボコ道を人が歩くすぐ脇を、バスが猛スピードで轟音を立てて走る。信号も歩道もルールもない。
ただ、人間と混沌がそこにあった。
ガンジス川で凧揚げをしていた少年と仲良くなり、彼の家族と数日間寝食を過ごした。
最終日、大きな男が現れ、「楽しかっただろう?」と笑いながら数万円を請求された。
理不尽だけど、確かに楽しかったから、黙って払って別れた。
映画の中に入り込んだような日々だった。外の世界を旅しているはずが、気づけば自分の内面を旅していた。下界を見下ろすような目で、自分の心の奥底を見つめていた。
ある朝、ガンジス川で沐浴をしていると、すぐ横を死体が流れていった。
「生」と「死」は対極じゃなくて、ただ自然に”繋がっている”のだと初めて実感した。
物乞い、四肢のない人、目の見えない人——路上には“見なかったこと”にしてきた現実がそのままあった。
なぜ僕は日本に生まれ、彼らはインドに生まれたのか?
恵まれているはずの自分が、彼らと比べて幸せだとは思えなくなった。境界が消えたから。
帰国すると、コンクリートで覆われ、密閉され、整いすぎた街が息苦しかった。
無表情な人々が、死人のように歩いていた。
この国は本当に生きているのだろうか?
もし僕が大金持ちになったら、山手線の内側を全部買い占めて江戸時代に戻したい。馬で移動し、井戸で水を汲み、蝋燭で夜を照らす。
少しくらい不便でも、ただ生きているというだけで、人はもっと感謝できるし、幸福を感じられるはずだ。
インドで成果なんて何も得られなかったけど、
沢山の問いが生まれて、その”問いを抱えたまま生きる”という旅を続けたいと思う。
…と言いつつも、朝起きたら、昨日の夜に洗濯機に突っ込んだものが全部乾いているという便利さを手放せるのかな?
いってらっしゃい~✨