「形あるもの、いつかは壊れる」

その“いつか”が、とうとうやってきました。

昨日、4歳の息子が、僕がすべての持ち物の中で一番大切にしていた茶道の扇子を折ってしまったのです。

茶道具箱から引っ張り出され、割り箸のように縦に開き、無邪気に折られてしまった扇子。

見つけた瞬間、声にもならない唸り声が漏れ、全身の力が抜けていきました。

こんなにも物が壊れたことに絶望したのは、もしかすると初めてかもしれません。

この扇子は、僕が茶道を習い始めた25年前、先生からいただいたものでした。

月に一度、月謝を納めるときだけ開き、月謝袋を載せて先生の前にそっと差し出す。

先生は月謝袋を収めた後、表千家の宗匠が書いた文字に目を落とし、「森の如し、静かな心でおいでなさい」と微笑んでたたみ、丁寧に向きを変えて返してくれました。

その言葉に何度救われたことか。仕事や家庭、さまざまな悩み苦しみの中で、心がここにいない時、いつも”今ここ”に戻してくれました。

悲しみの奥にあったのは、物への執着ではなく、その言葉への深い敬意でした。

5年前に他界された先生との記憶、扇子とともに歩んだ茶道の時間。そうした思い出は、折れたからこそ、より鮮やかに、深く僕の心に浮かび上がってきました。

物には、記憶と心が宿ります。けれど、物が壊れても、その記憶は壊れません。

むしろ昨日、壊れたからこそ、僕はあらためて茶道の道を振り返り、先生への感謝に満ちた気持ちを抱くことができたのです。

諸行無常という言葉の通り、すべては移ろいゆく。だからこそ、今ある日常を、物を、人を、心を、大切にしたい。

茶道において扇子は武士の刀とも言われますが、今はただ、ひとつの扇子に込められた時と想いを静かに見つめ、今ここに身を置いていきたいと思います。

扇子が折れたことに、心も折れましたが、おかげでより静かな心を取り戻せた気がします。

ところで当事者の息子は、壊した後、ひっそりと影を潜め、、、

気配を感じた娘が「パパ大丈夫?」と様子を見にきてくれました。

その後、帰ってきた妻が事情を聞いて、パパに謝っておいでと促して、「ごめんなさい」と謝りに来ました。

僕といえば、出来事のショックで謎の自己検証を始めてしまい、息子のことを思いやる余裕も、気持ちを汲んであげることもできませんでした。

もしかしたら、「大変なことをしてしまった!、どうしよう…」という不安をひとりで抱え、言い出せずにいたのかもしれません。

涙をためて謝りに来た息子が愛おしくて、ギュウッと抱きしめ、しばらくその暖かさと一緒にいました。

日々起こる出来事は、何かを問いかけてくれているのかもしれません。

耳を傾けてみたら、何か感じるかもしれないですね✨