日曜日の釣りには、その後の話がありまして、続編。
<さばいて食べるか、さばと暮らすか>
うちには7歳の娘と4歳の息子がいます。
近頃、娘が「釣りに行こう!」とよく言っているので、日曜日に江の島へGO!
パパ的には「準備が面倒だけど、今夜は新鮮な魚の刺身か唐揚げだな〜」とワクワクしていました。
娘が大活躍で、なんと鯖を2匹も釣り上げました!
僕と息子は「よっしゃー!夕飯決定!」とハイタッチ。ところが娘、まさかのひと言。
「この子たち、家で育てるんだよ。食べないよ」
え、ちょっと待って?釣った魚って…食べるもんじゃないの?
でも釣ったのは娘。仕方なく大量の海水を汲んで、家に持ち帰り、大きな容器で鯖の水槽生活スタート。
…って、そんなドラマみたいにうまくはいかず、夜には鯖、静かに息を引き取りました。
すると息子がポツリ。
「海で泳いでたお魚を、閉じ込めたらどんな気持ちになると思う?」
グサッ。確かに。
僕は言いました。
「せめて美味しく食べて、『ごちそうさま』って言おう」
「生き物は食べ物で、食べ物は生き物なんだから」
「そもそもいただきますって、命をいただくって意味なんだよ」
と、急に道徳の先生モード(^◇^;)
でも娘は涙ぐんで言いました。
「メダカの友達を増やして、一緒に遊びたかったの。だから釣りに行ったの」
…え?
よく考えたら、娘が大事にしているメダカたち。毎朝起きたら真っ先に餌をあげ、帰宅したら水槽のタニシをチェック。
そのメダカ愛は、なんと「自分が死んだらメダカのお世話を◯◯ちゃんにお願いする」という、5歳にして”遺言書”まで書いたほど!
娘にとって、魚は“育む存在”。
僕にとっては“食べる存在”。
このズレに気づかず、いきなり「命とは」なんてわかった風に話し始めたことを反省して謝りました。
その後、お庭に穴を掘って、サバの墓にみんなで手を合わせました。
本当に大切だったのは、魚の命の話より、娘の気持ちをちゃんと聞いて、感情を共有することだったなと、教えるつもりが教えられた夜なのでした。
今日もワクワクがいっぱいの一日になりますように✨