娘はメダカを大切に思うから、遺言書を書きました

<お兄ちゃんの苺が大きい理由>

55歳のとき、私は初めて自分の遺言書を法務局に保管しました。

きっかけはマンション購入と子どもが4人になったこと。私が死んだ後、子どもたちに嫌な思いをさせないように、と思ったためです。

遺言書って「自分には関係ない」と思う人が多いけど、実はとても身近なもの。

たとえば、子どもが3人いたとして、誕生日ケーキを丸ごと出したら、みんなで一斉に手を伸ばして、時には取り合いに…。

でも最初から切り分けて、お皿に乗せて渡せば、みんな仲良く食べられますよね。

それでも、「お兄ちゃんの苺が大きい」とか「妹のはちょっと多い」なんて人と比べちゃうこともあるけど、

「今日はお兄ちゃんの誕生日だからね」と一言そえれば、納得して笑顔になります。

遺言書は、そういう「ひとこと」を残すためのもの。

あなたがいなくなったあとに読まれるものだからこそ、あなたの思いが伝わる言葉が大切なんです。

以前、あるお客様の遺言書を法務局に保管しに行った帰り、その人が突然涙をこぼしました。

若くして夫を亡くし、女手ひとつでふたりの子どもを育てたシングルマザー。

「遺言を書いたことで、今までの自分を初めて認められた気がします」と話してくれました。

つらかった日々も、すべてが愛と感謝に変わった――そんな瞬間でした。

遺言書は、人生最後のラブレター

そして、自分が”まだ生きている”間に、もっと大切なことを直接、言葉と行動で伝えたくなる“きっかけ”にもなります。

私は今、「遺産分けの話し合い擬似体験のワークショップ」を開き、遺言書の大切さを伝えています。

参加者の多くが涙し、感謝の気持ちを胸に、遺言に向き合い始めています。

すべての人が、愛をこめた「ケーキの切り分け」ができる社会になりますように。

それが無償の愛を注いできた子たちへの、やさしさのマナーになれば――そう願って活動しています。

今日も楽しい一日になりますように✨