息子のことを考えていたら、父は、息子の僕をどう思っていたんだろう?と気になりだしました。

皆さんには、親に反抗した記憶がありますか?

僕の場合、それが訪れたのは大学を卒業してからでした。いわば、人生で初めての反抗期が「大人になってから」だったんです。

父は、自営業でメガネ店を営んでいました。真面目で、誠実で、正しさを何よりも大切にする人でした。でもその「正しさ」が、若かった僕には、なんだか鼻について。何かにつけて、反抗していました。

サラリーマンの僕は、自営業である父をどこかで見下していたんです。「組織で働いたこともないくせに、世の中を語るな」と。狭い世界で生きてると、勝手に決めつけていました。

でも、そんな僕も学生のころは、「サラリーマンなんて歯車だ、経営者の駒でしかない」なんて思っていたんです。

結局いつも、誰かと比べて、自分のほうが正しくて立派だと主張したかったんだと思います。正しさに対抗して、勝てる正しさを見つけてきては主張する、という滑稽なあり方でした。

東京の私立大学に進学し、父からは下宿代や学費など、たくさんの援助をしてもらいました。でも、当時の僕はそのありがたさに気づかず、「自分の力で生きている」と勘違いしていた。

結婚し、子どもを授かり、親になってみてやっと気づきました。どれほどの愛情と苦労が、そこにあったのか。

父との思い出の記憶は、あまり多くありません。

お店が月曜休みで、一般家庭のように、土日を一緒に過ごすことがなかったので、年一くらいで温泉に行った時の写真が残っているくらいです。それでもきっと、たくさん関わってくれていたとは思うのですが…。

2年前、父は亡くなりました。

今もし、話ができるとしたら――僕は、仕事の話や人生論ではなく、どうでもいいバカ話がしたいんです。昔の恋の悩みや、エッチな話、若い頃の失敗談とか。そんな他愛のない話を、もっと父としておけばよかったなと、今は思います。

父との関係から学んだ、いちばん大きなこと。それは、「立派である必要はない、正しくなくていい、自分にやさしくして、優しい繋がりの中で、許し、甘え、頼り合ったり、ただそのままの自分でいること。」

父とは叶わなかったこと、今は自分の子どもたちとの日常で味わい、分かち合っていこうと思います。

晴耕雨読。

雨は埃を流し、大切なものだけを現してくれます。

今日もきっと、たくさんの喜びが待っていますね✨